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八幡山トーク 第100回箱根駅伝記念「襷をつないだ小田高卒業生の選手たち」11:30~12:30 視聴覚教室(集成館ホー ル)

 令和6年正月、箱根駅伝は第100回大会を迎えます。金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」と願い、大学駅伝の創設を話 し合いました。東京高等師範学校徒歩部(現筑波大学陸上競技部)で金栗の2学年後輩だった澁谷寿光先生(中7)が、小田原中学校(現小田 原高校)在職中、その企画を担当しました。東京から箱根まで歩いて距離を測り、往復10区間・各区間平均20kmで2日間とするコースを 作りました。第1回大会では澁谷先生の指導のもと、5区で小田原中学校徒歩部(現陸上競技部)の部員たちが松明を灯し、選手たちを伴走す るなど協力しました。
 以来、小田中・小田高の卒業生たちは、優勝に貢献したり、主将を務めたり、兄弟で出場したり、同じ大会をともに走ったり、さまざまな活 躍をしてきました。箱根駅伝の長い歴史の中でも、全国的な陸上強豪校は別にして、県下有数の進学校である小田高の卒業生たちが、箱根駅伝 に出場を続けて活躍していることは、小田高にとってすばらしい誇るべきことであり、明治以来の質実剛健という小田高の襷をつないでいると 言えましょう。
 箱根駅伝の創設を研究している澁谷彰久先生と実際に箱根駅伝を走った卒業生たちに、箱根駅伝の誕生と発展、箱根駅伝の思い出や苦労した こと、自分にとって箱根駅伝とは、箱根駅伝の未来などにつきまして、ご対談いただきます。第100回大会を迎えるにあたり、箱根駅伝の意 義をお考えいただく一助となりましたら幸いです。

出演者紹介

澁谷 彰久(しぶや あきひさ)氏
 昭和31年生まれ、松田町出身、澁谷寿光先生(中7)の孫。中央大学法学部卒業、筑波大学大学院修了、山梨県立大学 国際政策学部名誉教授。令和4年定年退官後、地域アカデミア研究実践機構を開設し「箱根駅伝の誕生と旧制小田原中学」
を開講。祖父澁谷寿光のスポーツ史研究も行い、『箱根駅伝コースはどのようにして作られたか-澁谷壽光を通した駅伝史研 究のための一考察-』を著す。
澁谷
森 二郎(もり じろう)氏(高26)
 昭和30年生まれ、二宮町出身。小田高陸上競技部で県高校駅伝3位、筑波大学陸上競技部で第54回箱根駅伝7区を走 る。大学卒業後は神奈川県立高校に勤務し、陸上競技部顧問として箱根駅伝出場選手、青東駅伝の県選手団キャプテンなど、 全くの素人から自らの努力で強くなることに生きがいを感じる選手を育てる。自身は中学で走り始めてから地球3周・約12 万kmを走破した。
森
豊田 雄樹(とよた ゆうき)氏(高47)
 昭和51年生まれ、小田原市出身。小田高陸上競技部で県大会1500m優勝、関東大会1500m2位。中央大学陸上競 技部で第73回箱根駅伝7区、第75回箱根駅伝5区を走る。大学卒業後は東京電力に勤務し、陸上競技部に所属して東日本 実業団駅伝等に出場。現在は市民ランナーとして陸上競技を楽しみ、昨年度はマスターズ陸上1500mで県大会3位、関東 大会優勝。
豊田
平野 泰輔(ひらの たいすけ)氏(高47)
 昭和51年生まれ、大井町出身。小田高陸上競技部で県高校駅伝6位、神奈川大学陸上競技部で第75回箱根駅伝10区を 走る。大学卒業後は山北町役場に勤務し、市民ランナーとして青東駅伝に出場(神奈川県代表)、市町村対抗かながわ駅伝・ 町村の部で大井町3連覇に貢献。足柄上郡陸上競技協会の強化委員長・総務委員長を務め、地域大会の開催運営や後進の育成 に携わる。
平野
小野 文生(おの ふみお)氏(高28) コーディネーター
 昭和32年生まれ、秦野市出身。小田高陸上競技部で800m県大会・関東大会・全国大会優勝、1・3年県高校駅伝3 位。
日本体育大学陸上競技部で800m全日本IC・佐賀国体6位。大学卒業後は神奈川県立高校に勤務し、昭和63年から6年 間小田高陸上競技部顧問として後輩たちを指導。県立厚木北・七里ガ浜・平塚江南高校校長、神奈川県高等学校体育連盟会長 を務める。
小野