動画 「ヒカシューと巻上公一の世界」
|
八幡山コンサート2023 「ヒカシューと巻上公一の世界」日時:5月14日(日)14:30~15:30
(開場:14:15)
会場:小田原高校 視聴覚室(集成館ホール)出演:ヒカシュー
![]() |
メンバー:巻上公一(ボーカル、コルネット、テルミン、尺八)小田原高校26回卒
三田超人(ギター)小田原高校26回卒坂出雅海(ベース) 清水一登(ピアノ、シンセサイザー、バスクラリネット) 佐藤正治(ドラムス、パーカッション) 演奏とトークをお楽しみください。 |
1978年結成されたノンジャンル音楽ユニット。小田原高
校出身の巻上公一、三田超人
(旧姓:海琳正道)が高校時代から活動していた演劇集団ユリシーズが出発点となり、その劇中歌を演奏するバンド名として
ヒカシューが生まれる。1979年「20世紀の終りに」で東芝EMIからデビュー。デビュー当時はニューウェイヴ、テク
ノポップ・バンドの牽引者として一躍その名を知られたが、その後、抜きんでた即興性と独特な世界観を持つ楽曲が融合する
唯一無二のロックバンドとして広く認知されていった。過去の作品も次々リイシューされるなど、若い世代のフォロワーも多
く、巻上公一の強烈なボーカルと三田超人の超絶ギターは言うに及ばず、個性際立つそれぞれのメンバーがまさに自由自在に
演奏するライブは圧巻。 今年結成45年目、今まで一度も休むことなく活動を続け、未だに新しいヒカシューワールドを生み出し続けるパワーはい かなる追従も許さない。常にアート表現の新領域に挑み続け、近年では2013年4月に発売されたアルバム『うらごえ』は 束芋とのコラボレーションが大反響を呼んだ。2014年にはカナダ四都市公演後ニューヨークで録音された21枚目のアル バム『万感』、チャラン・ポ・ランタンとの共演が大きな話題を呼んだミニアルバム『チャクラ開き』を立て続けに発売、さ らに2015年4月にはアルタイ共和国をツアーする中で得たインスピレーションによるニューアルバム『生きてこい沈黙』 が発売された。2016年春、NYのJapan Societyの招きを受け、井上誠、チャラン・ポ・ランタンと共に「ゴジラ伝説」ライブをNYで敢行、大きな反響を得る。NYでレコーディングを行った 『ゴジラ伝説V』を2016年9月に発売。2017年には再びNYを訪れ、NY録音のアルバム『あんぐり』を発売。 2017年夏フジロックに出演。2016年年末クリスマスライブにて平沢進と共演し、2018年3月にそのライブを収め たDVD付きCD『絶景』が発売された。また、2019年12月にはデビュー40周年を記念して『ヒカシュー20世紀ベ スト』『ヒカシュー21世紀ベスト』が発売された。2020年にはコロナ禍のエストニアで録音されたアルバム『なりやま ず』を発売、そして2021年12月、マンスリーライブを通して1年かけて作曲された新曲を集めた『虹から虹へ』を発売 した。2022年夏、イリヤ・カバコフにインスピレーションを得て制作された『カバコフの夢を歌う』を、ダンサー伊藤千 枝子、Alive Paintingの中山晃子らと新潟・大地の芸術祭で発表し、2023年5月にその楽曲を収録したアルバム発売を予定している。 吉祥寺Star Pine's Cafeにて、2019年より4年以上に渡りマンスリーライブを敢行中。 http://www.hikashu.com |
巻上公一さんのメッセージ 小田原高校では三年間新聞部 小田高の良さは、風通しの良さと反骨精神ではないかと、ぼんやり思い出している。高校生(高26)になってすぐ、なぜ か勧誘があり、新聞部に入った。新聞部は先輩たちの偉業のおかげで、全国大会で上位を保ち、野球部より予算が多かった。 しかも市内の先輩たちの店舗から広告収入もあった。 沼津の活版印刷所に出張校正に行くのも楽しみのひとつだった。校正待ちの時に天丼かカツ丼が印刷所から出るのだ。 当時、客観性よりも個人の考えを反映するパトス派の新聞が高校新聞界隈の話題で、「百段坂」という社説や「真帆片帆」というコラムの中に、反映されてい た。校舎から独立した樫葉館にはたくさんの部室があって、治外法権のような場所だった。隣は写真部そして映画部と演劇 部。 それから弁論部に文芸部。出入り自由のような気楽さだったので、よく掛け持ちで他の部に参加していた。 ヒカシューのメンバー、ギタリストの三田超人(海琳正道)は、小宮孝泰と落語研究会を立ち上げ後、演劇集団ユリシーズに引き抜いた。なにしろ顔が面白く、 テープのポン出しが得意である。 学生運動の名残もあり、それを引き継いでフォーク集会も開催した。反戦ビラの類いが配られると、嫌疑がかけられ、よく職員室に呼び出された。(もちろんそ のビラには覚えがない。) 図書館が好きだった。ロートレアモンやランボーを知り、柳田国男を読み、清水邦夫や唐十郎な どの新しい劇作が読みたく て、現代戯曲全集もいれてもらった。 図書館司書の大場和子先生は伊東に住んでいたので、帰りの列車も一緒だった。福田恆存が講演に来た折、新聞部でインタビューをして、「実験演劇をどう思う か」などと訊き、嫌がられた。アレン・ギ ンズバーグ「吠える」に衝撃を受けたのはもちろん。シアドア・ローザック著「対抗文化の思想」、ポール・グッドマン「不 条理に育つー管理社会の青年たち」アリシア・ベイ=ローレル「地球の上に生きる」など、ヒッピー文化に関する書籍が軒並 み翻訳されていた時期だ。学校の帰りには、八小堂書店で本を買い、喫茶エリーゼでナポリタンを食べ、東通り商店街入口近 くの山室先輩の家にたむ ろしていた。高二の時、卒業式ボイコットの風潮の中、「在校生の言葉」を古屋健と海琳正道とぼくが申し込み、三人で演劇 風味のハプニングを、途中で中断されないように巧妙に行った。小田高体操とアングラ演劇を取り入れたものであった。寺山 修司に影響されていたのだ。翌年から「在校生の言葉」がなくなったのは残念である。高校三年になってからは、劇団のオー ディションに受かり、東京に住んでいたので、あまりいい生徒だったとはいえないが、今回樫友祭に呼んでいただき、改めて 母校を感じる機会を与えていただき感謝している。 巻上公一 |